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宮廷画家ゴヤは見た
GOYA'S GHOSTS

2008年10月4日(土)、スバル座・渋谷東急・新宿ミラノ他全国ロードショー


■ストーリー
   スペイン最高の画家と讃えられ、国王カルロス4世の宮廷画家に任命されたフランシスコ・デ・ゴヤ。芸術家としての最高位に上りつめた彼は、貧しい人々を描き、腐敗した権力者を攻撃する版画を制作していた。
  1792年、マドリード。ゴヤが今、描いているのは、2枚の肖像画。1枚は、天使のように無垢な少女、イネス。裕福な商人トマス・ビルバトゥアの娘。もう1枚は、初めて依頼されたロレンソ神父。神父はゴヤのアトリエで見た、絵の中のイネスの美しさに心を動かされる。

 

 


■キャスト
ロレンソ神父:ハビエル・バルデム
イネス・ビルバトゥア/アリシア:ナタリー・ポートマン
フランシスコ・デ・ゴヤ:ステラン・スカルスガルド
国王カルロス4世:ランディ・クエイド
トマス・ビルバトゥア:ホセ・ルイス・ゴメス
異端審問所長:ミシェル・ロンズデール
マリア・イザベル・ビルバトゥア:マベル・リベラ
 





       

  
  カトリック教会は、国王の監督の下、異教徒や無神論者を罰する権限を持っていたが、近年ではほとんど機能していなかった。教会の力を復活させようというロレンソの提案で、異端審問が強化されることになる。
  突然、イネスが審問所から出頭命令を受ける。居酒屋で豚肉を嫌がったために、ユダヤ教徒だと疑われたのだ。トマスに頼まれたゴヤはロレンソに、肖像画の代金と修道院の修復費を引き換えにイネスの解放を願う。
  ロレンソが異端審問所を訪ねると、イネスは既に拷問を受けていた。彼は、脅えるイネスを慰めるうちに欲望に負け、彼女を強く抱きしめるのだった。

 トマスは屋敷での豪華なディナーに、ロレンソを招待する。和やかに始まったその席で、イネスが拷問に耐えかねてユダヤ教だと嘘の告白をしたと知った家族とゴヤは、激しいショックを受ける。裁判にかけるというが、認めたからには釈放はあり得ない。
  罪がなければ、痛みに耐える力を神がお授けになる──そんな教会の愚かな主張を覆すべく、トマスはロレンソを天井から吊るし、自分はサルだという告白書にサインさせる。娘が戻れば、すぐに燃やすと約束して……。

 

※   ※   ※


       
 











       


■プロダクション・ノートより

ミロス・フォアマン監督:
偉大なスペイン人画家フランシスコ・デ・ゴヤと、スペイン異端審問についての映画を作るというアイディアをミロス・フォアマン監督が思いついたのは、チェコスロバキアの学生だった50年以上も前のことだ。
「これは、ゴヤから思いついたアイディアではない」と、フォアマンは振り返る。「スペインの異端審問に関する本を読み、間違って罪に問われた人物がいたという事件を知り思いついた。私たちが住んでいた共産主義社会と、スペインのこの時代には、実に多くの類似点があると思ったからだ。もちろん、このような物語をチェコスロバキアでは創れないと分かっていた。そこで私はこのアイディアを忘れた」

しかし30年後に、そのアイディアがマドリードで浮上した。フォアマンとプロデューサーのソウル・ゼインツが、『アマデウス』のプロモーションをしていた時だ。「ミロスと私は、プラド美術館の近くにあるホテルに滞在していた。プラドにはゴヤの世界最大のコレクションがあった」とゼインツは思い出す。ゴヤはフォアマンを魅了した。「彼の絵画に圧倒され、頭から追い払えなくなった。私は、ゴヤが最初の近代画家だと確信した。彼について、どうしても映画を作りたくなった」

画家フランシスコ・デ・ゴヤとは──?

フランシスコ・デ・ゴヤはスペインの人々の心と頭の中の、特別な場所を占領している。彼はスペイン文化のヒーローであり、国の父親のような存在であり、美術史上、きわめて重要な機能を果たしている画家であり版画作家で、人々の魂に語り掛ける。それは、彼の前、そして彼の後のアーティストには出来なかったことだ。

フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1746-1828)は、フエンデトードスで生まれ、サラゴーサで育った。14歳の時に、父親の友人の画家、ホセ・ルサンに弟子入りした。イタリアを旅した後、ゴヤはスペインの宮廷画家の娘と結婚した。その翌年の1774年、ゴヤは皇室からの最初の依頼を受け、タペストリーに編みこむための、装飾的な日常生活の絵を描いた。1789年、ゴヤは宮廷画家に任命された。これは、芸術家に与えられる最高位である。

ゴヤの初期の頃の肖像画は、広々とした田園風景を背景にして、タペストリー・デザインのための、揺らめくパステル・カラーを特徴としている。彼が描いたのは、スペイン王カルロス4世とフェルディナンド4世だった。ゴヤのテーマは、祭りから宮廷、彼の時代の歴史的年代記へと広がり、「Los Caprichios」と言う名前の、80枚の版画シリーズを創った。

年齢を重ね、聴覚を失った後のゴヤの描く主題は暗くなり、狂気、精神異常、それにファンタジーをテーマにした、恐ろしくどんよりとした絵を描いた。これらの「黒の絵」といわれる作品は、美術界の印象派の動きを予測したもので、ゴヤの初期の作品は、フランス人画家エドゥアール・マネの作品に影響を与えている。ゴヤの最も重要な作品の多くは、ナポレオンのスペイン侵攻をテーマにしたもので、戦争の悲劇のディテールを生き生きと描いている。
ゴヤは成人してからのほとんどを、マドリードで過ごした。フランス軍がスペインから駆逐された後、ほとんど目も見えず、聾でもあったゴヤは、自らボルドーに隠遁して死んだ。
(プレス資料より転載)




 
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ゴヤの目を通して、教会の異端審問をモチーフに、18世紀のスペインをとらえた作品。
ゴヤという画家は、どういう画家だったのだろうか?  支配者、征服者、そして無慈悲な教会に対する批判的なまなざし・・・、それを絵画、版画として作品の中に残し、同時代にも後世にも伝えていることがわかってくる。この作品の中のゴヤは、監督ミロス・フォアマン自身のようでもある。 (JS)








■監督・脚本:ミロス・フォアマン
『カッコーの巣の上で』(75)と『アマデウス』(84)で2度、アカデミー賞監督賞を受賞。
1932年、旧チェコスロバキア生まれ。9歳の時、両親はゲシュタポに逮捕され、その後、ナチの収容所で殺される。戦争孤児の寄宿舎学校時代に、舞台に関心を持つようになり、プラハ大学映画学部に入学。
1963年、長編映画『Black Peter』を監督。数多くの映画祭の映画賞を受賞。
『ブロンドの恋』(65)、『火事だよ!カワイ子ちゃん』(67)によって、国際的な評価を得る。『パパ/ずれてるゥ!』(71)を監督するためにニューヨークに移住。カンヌ国際映画祭、審査員賞を受賞。1972年のミュンヘン・オリンピックのオムニバス・ドキュメンタリー『時よ止まれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』(73)に参加。
その他の主な監督作品は、ロングラン・ミュージカルの映画化作品『ヘアー』(79)、『ラグタイム』(81)、『恋の掟』(89)、雑誌「ハスラー」の創刊者を描いた『ラリー・フリント』(96)、ジム・キャリー主演『マン・オン・ザ・ムーン』(99)など。



■スタッフ
監督:ミロス・フォアマン
脚本:ミロス・フォアマン、ジャン=クロード・カリエール
製作:ソウル・ゼインツ
製作総指揮:ポール・ゼインツ
共同製作:デニース・オデル
共同製作/ライン・プロデューサー:マーク・アルベラ
撮影監督:ハビエル・アギーレサロベ(A.E.C.)
美術:パトリツィア・フォン・ブランデンスタイン
編集:アダム・ブーム
衣装デザイナー:イヴォンヌ・ブレーク
音楽:ヴァルハン・バウアー

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://goya-mita.com

©2006 Xuxa Producciones SL - All Rights Reserved

原題:GOYA'S GHOSTS
2006年/アメリカ/カラー/ビスタ・サイズ/114分
字幕翻訳:松浦美奈
配給:株式会社ゴー・シネマ  配給協力:ぴあ株式会社