home
home

 

アルゲリッチ 私こそ、音楽!
BLOODY DAUGHTER

2014年9月27日(土)Bunkamura ル・シネマ他にて公開


■ドキュメンタリー 
 子供の頃から類稀な才能を発揮し、16歳で既に“生ける伝説”と呼ばれたマルタ・アルゲリッチ。麗しい美貌とは裏腹に、力強く圧倒的な演奏でたちまち世界中にその名を広げ、以降、約50年以上に渡りクラシック界の“女神”として君臨し続けている。
 しかし、スキャンダラスな私生活や気分屋で情熱的な性格は有名で「奔放な性格も彼女の芸術の一部」と称される。

 生まれてからマルタと一度も一緒に暮らしていない長女リダ。忙しい母の代わりに妹の面倒をみた次女アニー。そして、子供の頃から母をファインダー超しに見つめていた三女ステファニー。母と有名ピアニスト、両方のマルタを知る娘たちがそれぞれの出自を語り出す…。

  本作は、三女・ステファニーが長編初監督として、アルゲリッチのこれまで明かされる事のなかった演奏会の裏側、家族との姿、3人の娘たちの想い等、極めてプライベートな部分に迫り、核心を掘り下げてゆく。

 


■キャスト
マルタ・アルゲリッチ、スティーヴン・コヴァセヴィッチ、
シャルル・デュトワ、 リダ・チェン、
アニー・デュトワ、ステファニー・アルゲリッチ
 




       


■プロダクション・ノートより

製作:ピエール・オリヴィエ・バルデ

マルタ・アルゲリッチ、クラシック音楽に親しむ人々の間ではあまりにも有名であり、伝説的な影響力をもってその名を響き渡らせている。超一流の世界的音楽家である彼女は、神秘のオーラに包まれている。

その娘、ステファニー・アルゲリッチ 監督から親についての映画を撮りたいと聞いたとき、私たちはたちまち興味をかき立てられた。彼女は日ごろから極度にカメラ嫌いの演奏家に内側からアプローチし、“家族映画”に収めることを提案していた。彼女は「家族の」映画の中で、内側から芸術家の両親の姿に近づきたいと言っていた。

 

       
 








       



ステファニー・アルゲリッチ監督の言葉


私の母がこの映画の主人公である。この映画によって、母の様々な面が明らかになればと思っている。もちろん名演奏家であり、時には言葉よりも音符が多くを語ることもある。聖なるステージの怪物である母はスターであり、スターらしくあらねばならないのだ。

一方で、彼女は大人になりきれていない女性でもある。ステージでの緊迫感や直接性から離れると、常に迷いながら生きている。「本当の人生?それは他所にあって、こんなんじゃないわ…ほんの少しだけでも良くするにはどうしたらいいのかしら?」底なしの井戸のように、満足というものを知らない人なのである。そして自分の混乱、疑念の渦へ他人を巻き込んでしまう。巻き込まれた方はそこで迷子になってしまうのだが、当の本人はいつも簡単に出口を見つけるのである。
迷い、道を見つけ、ここはどこだろうと自分に問いかけてみる…。子どもの頃から私たちはそれぞれ色々な感情を経験し、その感情によってどうにかこうにか自分というものを構築しようと試みている。

“音楽界の巨匠を親にもつ娘”として生きるのは容易なことではない。自分を肯定するまでには、いわゆる普通の家庭の人たちよりも多くの障害を乗り越えなくてはならない。私は、家族との生活にあまり多くを割けない程の情熱に身を焦がしている、完全に規格をはみ出したお手本を見ながら育った。
家族が揃った夕食、公園遊び、母親との朝食…こういった思い出を数えるのにも、片手の指で足りてしまう。こんな平凡に思えることでさえ、私にとってはずっと夢の世界のことだった。1児の母となり、私自身が朝食を準備する母親になった今は、少し夢が叶ったけれど。

私が小さい頃、母の演奏旅行にはほとんどついていった。母が協奏曲を練習する夜は、そのピアノの音色を聞きながら眠りについた。これはとても融和的な関係で、特に長い間誰もふたりの関係に割って入ってこなかった分、強い結び付きとなった。母が演奏旅行について来るようにと言うので、学校には時々しか行けなかった。あまりにもあちこち連れ回されたので、ついに反旗を翻し、ある時私は自分のパスポートを部屋の絨毯の下に隠した。しかし母は、「あの子が来ないなら、私も行かないわ!」と叫んだ。私の責任は重大だったのである。 娘なら誰でもそうだが、私も母とともに全ての時期を過ごした。時には離れ、また傍へ行き、また反発してみる…。私は母との関係の本質について考えてみた。そしてこれが、この映画を撮るきっかけになったのである。私は与えられた役割ではない、ある種の感情的な影響力の外側にある私だけの役割を見つけなければならなかったのだ。


 

 









■監督:ステファニー・アルゲリッチ 
1975年3月17日 スイス・ベルン州で生まれ。スイス、アルゼンチン、ベルギー国籍をもっている。マルタ・アルゲリッチと、同じくピアニストのスティーブン・コヴァセヴィッチの娘。モスクワでロシア語を学び、その後ニューヨークのパーソンズ・デザイン・スクールで写真撮影について学んだ。パリでは、ビデオ撮影のトレーニングを受け、初の監督作品を手がけた。本作は、自身にとって初監督長編映画となる。



■スタッフ
監督:ステファニー・アルゲリッチ
撮影:ステファニー・アルゲリッチ、リュック・ピーター
編集:ヴァンサン・ブリュス、ニコラ・ルフェーブル
音声:マルク・フォン・ストゥラー
製作:ピエール=オリヴィエ・バルデ 、リュック・ピーター

     

 

 

   


■オフィシャルサイト
http://www.argerich-movie.jp/

(C)Ideale Audience & Intermezzo Films

原題:BLOODY DAUGHTER
2012年/フランス、スイス/ビスタ/96分/
日本語字幕:斎藤敦子 字幕監修:伊熊よし子
配給:ショウゲート

     


マルタ・アルゲリッチ:略歴

1941年6月5日、母ファニータと父フアン・マヌエルの元、ブエノスアイレスで生まれる1945年弟のカシケが生まれる
1946年ヴィンチェンツォ・スカラムッツァの元でレッスンを始める
1949年モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」を人前で演奏
1955年フアン・ペロン大統領の指示によりヨーロッパに渡る。ロンドン・ウィーン・スイスでザイドルホーファー、フリードリヒ・グルダ、ニキタ・マガロフ、マドレーヌ・リパッティ夫人、ステファン・アスケナーゼに師事。
1957年ブゾーニ国際ピアノコンクールと、ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝
1959年指揮者シャルル・デュトワと共演
1960年ドイツ・グラモフォンからデビューレコードをリリース
1963年ホロヴィッツに会いにニューヨークへ。作曲家ロバート・チェンと結婚。
1964年3月28日、ジュネーヴでチェンとの子、長女リダ誕生。実母ファニータが託児所からリダを連れ出し、逮捕される。チェンと離婚。
1965年ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで優勝。ポーランド放送局賞(マズルカ賞)受賞。
1966年ロンドンで暮らす。スティーヴン・コヴァセヴィッチと出会い、交際、破局。
1969年ウルグアイのモンテビデオでシャルル・デュトワと結婚
1970年10月4日、ベルンでシャルル・デュトワとの間に次女アニー誕生
1972年チャイコフスキー「協奏曲第一番」をデュトワと共演
1974年デュトワと離婚。コヴァセヴィッチと同棲。「夜のガスパール」を録音
1975年3月17日、コヴァセヴィッチとの間に三女ステファニー誕生(コヴァセヴィッチとは未婚)
1978年ヴァンス音楽祭でミッシャ・マイスキーとアレクサンドル・ラビノヴィチと出会う。
1980年ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで審査員を務めるが、辞退。イーヴォ・ポゴレリチ事件
1982年ネルソン・フレイレと演奏会
1983年ミシェル・ベロフと交際
1984年ベートーヴェンのピアノとヴァイオリンのためのソナタ全曲をギドン・クレーメルと録音
1987年ベロフと破局。アレクサンドル・ラビノヴィチと交際1989年母ファニータ死去
1992年長女リダに娘誕生、メラノーマ(皮膚がん)が見つかる
1995年別府アルゲリッチ音楽祭始まる
1996年コペンハーゲンでヴィオラ奏者となった長女リダと共演
1997年メラノーマの手術
1998年別府アルゲリッチ音楽祭総監督就任
1999年ブエノスアイレスでマルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクールを創設
2000年カーネギーホールでソロ・コンサート、父フアン・マヌエル死去
2001年ブルーシア=ベルガモ“アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ”国際ピアノフェスティバルから第二回アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ国際賞授与
2002年スイス、ルガーノ・フェスティヴァル「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」開催
2005年日本で「第17回高松宮殿下記念世界文化賞」及び「旭日小綬章」受章
2010年第16回ショパン国際ピアノ・コンクール審査員
2014年ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭にてギドン・クレーメルらと演奏